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着物は、結婚式や成人式などの行事でよく用いられている日本の伝統的な民族衣装です。
今でこそ多くの人に親しまれていますが、着物の歴史を知っている人は少ないのではないでしょうか?
そこでこの記事では着物の起源とその変遷をご紹介します。
時代ごとに深堀っていきますので、どのようにして現代の着物になったのか、移り変わりにも注目して読んでみてくださいね。
それでは早速チェックしていきましょう。
- 着物の歴史に興味がある
- 着物をもっと詳しく知りたい
- これから着物を始めてみたい
着物の起源について
着物はどのようにして生まれたものなのでしょうか?
弥生時代から順に、当時の衣服を振り返っていきましょう。
弥生時代
画像出典:戦国ヒストリー
弥生時代では男性の服は1枚の布を巻き付けた巻布衣(かんぷい)をまとい、女性は2枚の布を使った貫頭衣(かんとうい)を着ていました。
その後、古墳時代になると男性はズボン、女性はスカートのようなものを着用し、上下が分かれた衣服へと進化していったそう。
飛鳥・奈良時代には明確な身分制度ができ、手足が隠れて動きにくい服装の「大袖(おおそで)」を着ている支配階級(公家)に対して、労働階級の庶民は「小袖(こそで)」が使用されていました。
着物の起源は、この小袖が始まりだったと言われています。
小袖は袖口の小さい着物のような形で動きやすいため、庶民を中心に発展していったのだそう。
飛鳥・奈良時代
飛鳥・奈良時代には明確な身分制度が誕生しました。
支配階級者は手足が隠れた動きにくい服装なのに対して、労働階級である庶民は小袖を使用し、身分によって着用する種類が変わるのがこの時代の特徴です。
衿あわせが右前だと法律で定められたのも飛鳥・奈良時代のことで、現在でもその文化は受け継がれています。
平安時代
平安時代に入ると新たな技法で着物が作られるようになりました。
それは、着る人の体型に左右されず布を直線に裁って縫い合わせる「直線裁(ちょくせんだち)」という技法です。
寒いときは重ね着をし、暑い時は涼しい素材を使うなどの工夫を取り入れながら、多くの種類の着物が作られていきました。
こうして着物は、人々の暮らしの中でなくてはならない存在として発展していったのです。
色の組み合わせを楽しむ感性が発達したことで、階級や季節の色などの色調が強調されて、日本独自の色の調和を楽しむ伝統が生まれたのだそうです。
大袖を何枚も重ねて着る十二単(じゅうにひとえ)も平安時代を象徴する衣服といえるでしょう。
鎌倉・室町時代
画像出典:刀剣ワールド
鎌倉時代や室町時代になると、女性だけでなく男性も華やかな色の着物を身につけるようになりました。武士の勢力が広がるにつれ、戦地に着ていく衣装は大将の個性を主張したものであるから、あでやかなものが好まれたのだそう。
この時代に初めて「着物」という言葉が誕生しました。
袂のついた小袖と、筒袖の小袖を区別するためです。
公家以外のほとんどの人は袂のついた小袖を使用していたため、「小袖=着物」といった認識が一般的に広がっていったのだといいます。
江戸時代
江戸時代には身分によって着物の制限が設けられました。
色や素材などによって身分の違いが顕著に現れるようになります。
裕福な商人は、刺繍の入った豪華な着物を着る一方で、庶民は「四十八茶百鼠」と呼ばれる茶色やねずみ色をした着物しか着用が認められていませんでした。
そこで庶民は、柄や帯の結び方などでお洒落を楽しむようになっていったそうです。
武士の制服としても発達した着物は美術工芸品としての価値も高まりました。
家の財産として親から子に受け継がれる風習は、この時代に根付いたとされています。
明治時代から現在
明治時代には外国の文化の影響を受けるようになりました。
政府は西洋化を進めるために、官僚や軍人に対して正式な場では洋服を着用することを命じたのです。
庶民に対しては、それぞれの家系を表す家紋の入った紋付が礼装と定められたため、それ以降現在にいたるまで着物での礼装は男女ともに紋付とされています。
現在では着物は晴れ着といったイメージが強くなり、結婚式や成人式などでの正装として着用される習慣が残ったのだそうです。
まとめ
この記事では、着物の起源から現在に至るまでの移り変わりをご紹介しました。
弥生時代の衣服が、どのようにして現在の着物になったのかが分かったのではないでしょうか。
歴史の深い着物を、特別な日にしか着ないのはもったいない!
ぜひ、着物を着てさまざまな場所へお出かけしてみてくださいね。
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